
- 八五郎神社のしるべ
- 当神社のご祭神、八五郎清須命(やごろうきよすのみこと)は、出雲の国・大国主命の一族であり、神代の一時期、大国主命の代理として先代の建速須佐男命をご祭神としている津島神社の祭祀を司っていた。用務を終えて出雲の国へお帰りになる直前、豊川の氾濫により当地区の住民が苦しんでいるのを聞きつけ、「それは哀れ!」と思われて堤防などの治水事業に尽力された。地元(豊橋市清須町周辺)の方たちは、八五郎清須命のご神徳を敬うとともに、当地区の永代安寧をする坤神(地の神)として大切に祀ってきた。
小さな祠ではあったが、当地区の有力者である山内家(代表役員・山内章禎氏の生家)が中心となり、今日まで大切に祀ってきた。また、こうしたご神徳と大国主命、建速須佐男命の守護力をいただいて、治山治水、商売繁盛、疫病厄除け、病気平癒、建設長久等を祈願する神社として、多くの人達が参詣されてきた。
しかし、時代の推移とともに祠が朽ちてきたため、1982年(昭和62年)現在地に堂宇を構えた。現在も多くの人達が参詣されている。
なお、愛知県、岐阜県にある清須(清州)という地名は八五郎清須命からいただいたものとされている。
- 神社略歴
-
| ・神代の頃 |
:当地区(豊橋市清須町周辺)は、八五郎清須命のご神徳により豊川の氾濫を治めることができた。 |
| ・奈良時代の頃 |
:治水祈願のため、豊川堤防右岸に石碑を建立した。 |
| ・平安時代の頃 |
:集落の中心地に「八五郎の神」を祀った。 |
| ・室町時代の頃 |
:山内家が「八五郎神社」として祠を設けたため、地元の人達は篤く参詣するようになった。 |
| ・江戸時代の頃 |
:田畑の開墾が頻繁に行われたため、「八五郎神社」は所在を転々とした。また、その都度 祠は新築された。 |
| ・明治時代の頃 |
:明治38年 ほぼ現在地に建立された。 |
| ・昭和時代の頃 |
:昭和23年 戦争で消失された祠が再建された。 |
| 昭和62年 代表役員・山内章禎氏が現在地に堂宇を建立した。 |
※建立した時に毎年6月20日を八五郎神社の大祭とし、神事、餅投げ並びに直礼を実施している。
直礼では地元小学生による奉献信開太鼓の披露とか、歌手を招いての宴など盛大に挙行されている。